Everything Else
『映画のロケ地にもなった豪奢な雰囲気を味わって』
享和、文化の頃(1800年ごろ)小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造を営み、巨大な富を築いた大野呂の庄屋・広兼氏の邸宅です。
江戸末期に建てられた、楼門づくりで城郭にも劣らない堂々たる石垣は、今もそのままに当時の富豪ぶりをたたえています。
広兼氏は大野呂の庄屋で、同家2代元治が享和、文化の頃小泉銅山とローハ(ベンガラの原料)製造を営み巨大な富を築き、規模、構造とも雄大な城郭を思わせる構えで今もそのままに当時の富豪を偲ばせている。
映画「八つ墓村」のロケが昭和52年と平成8年の二度にわたりおこなわれ、全国に放映された。
Hirokane Residence
2710 Nariwachō Nakano
『映画のロケ地にもなった豪奢な雰囲気を味わって』
享和、文化の頃(1800年ごろ)小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造を営み、巨大な富を築いた大野呂の庄屋・広兼氏の邸宅です。
江戸末期に建てられた、楼門づくりで城郭にも劣らない堂々たる石垣は、今もそのままに当時の富豪ぶりをたたえています。
広兼氏は大野呂の庄屋で、同家2代元治が享和、文化の頃小泉銅山とローハ(ベンガラの原料)製造を営み巨大な富を築き、規模、構造とも雄大な城郭を思わせる構えで今もそのままに当時の富豪を偲ばせている。
映画「八つ墓村」のロケが昭和52年と平成8年の二度にわたりおこなわれ、全国に放映された。
ベンガラ窯元片山浅次郎家の総支配人片山嘉吉(当時吹屋戸長)が分家され、明治7年ごろより企画し本家の材木倉より良材を運び、石州の宮大工、島田網吉の手により明治12年3月完成されたものです。
吹屋ふるさと村郷士館
ベンガラ窯元片山浅次郎家の総支配人片山嘉吉(当時吹屋戸長)が分家され、明治7年ごろより企画し本家の材木倉より良材を運び、石州の宮大工、島田網吉の手により明治12年3月完成されたものです。
旧片山家住宅
弁柄屋としての店構えを残す主屋とともに弁柄製造にかかわる付属屋が立ち並ぶ「近世弁柄商家の典型」と高く評価され、平成18年12月、国の重要文化財に指定されました。
弁柄は江戸中期(宝永4年 1707年)全国ではじめて吹屋で生産されて以来、江戸末期、明治、大正と大いに繁昌を続け、吹屋町並みの基礎をつくりました。このベンガラ館は、明治の頃の弁柄工場を当時の姿に復元したものです。
べんがら館
弁柄は江戸中期(宝永4年 1707年)全国ではじめて吹屋で生産されて以来、江戸末期、明治、大正と大いに繁昌を続け、吹屋町並みの基礎をつくりました。このベンガラ館は、明治の頃の弁柄工場を当時の姿に復元したものです。
江戸時代から大正時代まで操業した銅山を復元し、坑内を見学できるようにしたものです。冒険心をそそる神秘的な坑内は、年中15度前後と天然のエアコンが効いています。
吉岡(吹屋)銅山は、大同2年(807年)に発見されたと伝えられ、古書に備中の産物に関する記載があり、吹屋の銅山としての記録は、戦国時代尼子氏と毛利氏の争奪戦以来、江戸時代初期一時、成羽藩の支配下にありましたが、大部分の間は、天領幕府直轄地で代官の支配下で稼いでいました。
明治以降三菱金属(株)の経営となり、周りの小山を吸収合併し、自家発電所を設け、削岩機を使い精錬等の作業を機械化し、日本ではじめて洋式溶鉱炉を造り、日本三大鉱山の一つとなりました。
この鉱山は笹畝(ささうね)と称し、支山(しざん)でしたが、後年は地下で本坑道(坂本)と連絡し、黄銅鉱、磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)が産出されていました
特に、江戸時代には、この地から馬の背にのせて成羽町下原の総門まで運ばれ、高瀬舟に積んで玉島港まで行き、海路を利用して大阪の銅役所へ運ばれていました。
Sasaune Kodo Mining Gallery
1987 Nariwachō Nakano江戸時代から大正時代まで操業した銅山を復元し、坑内を見学できるようにしたものです。冒険心をそそる神秘的な坑内は、年中15度前後と天然のエアコンが効いています。
吉岡(吹屋)銅山は、大同2年(807年)に発見されたと伝えられ、古書に備中の産物に関する記載があり、吹屋の銅山としての記録は、戦国時代尼子氏と毛利氏の争奪戦以来、江戸時代初期一時、成羽藩の支配下にありましたが、大部分の間は、天領幕府直轄地で代官の支配下で稼いでいました。
明治以降三菱金属(株)の経営となり、周りの小山を吸収合併し、自家発電所を設け、削岩機を使い精錬等の作業を機械化し、日本ではじめて洋式溶鉱炉を造り、日本三大鉱山の一つとなりました。
この鉱山は笹畝(ささうね)と称し、支山(しざん)でしたが、後年は地下で本坑道(坂本)と連絡し、黄銅鉱、磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)が産出されていました
特に、江戸時代には、この地から馬の背にのせて成羽町下原の総門まで運ばれ、高瀬舟に積んで玉島港まで行き、海路を利用して大阪の銅役所へ運ばれていました。
平成24年3月まで現役の木造校舎として国内最古とされていた、旧吹屋小学校(県指定重要文化財)。
明治6年(1873)に開校し、同32年(1899)に吹屋尋常高等小学校と改称して、現在の場所に移転、同33年(1900)には木造平屋建の東校舎・西校舎が落成しました。
※平成24年3月末まで現役最古の木造校舎として使用していました「旧吹屋小学校校舎(岡山県指定重要文化財)」については、文化財として後世に伝えていくために、今年度より保存修理工事を実施することとしております。
保存修理工事につきましては、平成27年10月から実施することとなりました。
これまで、外観については自由に見学していただいておりましたが、10月以降は保存修理工事に必要となる仮囲い・覆屋を設置しますので、外観についても見学することができなくなります。
皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
保存修理の期間
平成27年10月~平成32年3月末
Kyu Takahashi Shiritsu Fukiya Elementary School
1290-1 吹屋平成24年3月まで現役の木造校舎として国内最古とされていた、旧吹屋小学校(県指定重要文化財)。
明治6年(1873)に開校し、同32年(1899)に吹屋尋常高等小学校と改称して、現在の場所に移転、同33年(1900)には木造平屋建の東校舎・西校舎が落成しました。
※平成24年3月末まで現役最古の木造校舎として使用していました「旧吹屋小学校校舎(岡山県指定重要文化財)」については、文化財として後世に伝えていくために、今年度より保存修理工事を実施することとしております。
保存修理工事につきましては、平成27年10月から実施することとなりました。
これまで、外観については自由に見学していただいておりましたが、10月以降は保存修理工事に必要となる仮囲い・覆屋を設置しますので、外観についても見学することができなくなります。
皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
保存修理の期間
平成27年10月~平成32年3月末
備中松山城 天守
1 内山下現存天守の残る日本一高い山城は標高430m。
天空の城の異名をもち、ハイキングコースとしても人気!
Food Scene
吹屋の紅や
159 Nariwachō Fukiyaスロウな時間を刻むお店
かやぶきカフェ。
時代物雑貨などもあります。
赤と黒のルーをかけあわせたベンガラカレーがおすすめ。
tulenote
2696 落合町土日だけ営業しているベーグル屋さん
地元の人たちに大人気!
Fujimori Restaurant
380 Nariwachō Fukiya地元の山菜を中心とした料理が食べれるお店。
マスター手作りの竹器でいただくおそばもおすすめ。
ふくろう
コーヒーは自家焙煎。
抹茶は、苦味を抑え、飲みやすい。
Fukiya Furusato Mura Kyukeijyo Restaurant
717-1 Nariwachō Fukiya具だくさんの山菜うどん。
毎日地元のおばぁちゃんが
手作りで作っています。